26回目の投稿です
館林の皆様、こんにちは。
「あなたのままでそれでいい」
「お母さん、やっているだけで素晴らしい」
「子どものころの感性があなたらしさ」
をあいことばに、
緑町で自他を大切にするがっこう(場)
『よかよか学院』を運営しています
『ばなな先生』こと
小塙 雅多加(こばなわ まさたか)ともうします。
どうぞよろしくお願いいたします。
駅前のイルミネーションに刺激され
ツリーになりました。
なんと、館林市副市長様に
「くらし見たよ」と言っていただきました。
墾さんのおかげです。ありがとうございます。
「もういやだよ」はぼくの声
「先生、ぼく、もういやだよ」
以前、5年生を担任したとき、
ある男の子が泣きながら床をたたきました。
その子は勉強が出来ません。
宿題をやってこなくてしかられます。
忘れ物も多く、だらしなく、
友達からバカにされることもたくさんあります。
家では両親の仲が悪く、経済的にも不安定、
お父さんが仕事をせず、
離婚という言葉がいつもちらついているそうです。
その日は、家で何かあったらしく、
登校した直後に私物があちこちに落ちているのを注意したら、
いつもなら笑って謝るのに、ものすごく激しく怒り出しました。
突然、帰ると家に帰るといい、教室を出て行きました。
ぼくはあわてて追いかけ、彼を引きとめました。
しかし、興奮しているのが分かったので、
家に電話をし、迎えに来てもらうことにしました。
帰ろうとする彼を引きとめている途中、
座り込んだ彼の口から嗚咽とともにでた言葉が
「もういやだよ」でした。
きっとやっとのことで学校に来てくれたんでしょうね。
※お父さんとお母さんがもめたことが後に分かりました。
ぼくも内観しました。
自身のことでイラついていた事に気づきました。
「もういやだよ」はぼくの心の声でもありました。
すごく反省しました。
教育って何だろう
そのときに思いました。
教育って何だろう、って。
教育が人を育てる営みだとしたら、
ぼくは本当に人を育てているのか、と。
そもそも人を育てるってどういうことなんだろう、と。
ぼくのやっていることは彼のような子どもを
ただ単に否定しているだけじゃないか、と。
「君はどうなりたいの?」
しばらくたって、その子に聞きました。
「どうにもなれないよ」
そう答えました。
そうやって、その子に思わせたなら、
ぼくのしていることは教育ではないような気がするのです。
「ごめんなさい」
って謝りました。
すると、「いいよ」って答えがかえってきました。
じつは、子どもの世界の「いいよ」はすごい言葉です。
清濁併せ持った諸々の感情がありながらも
『赦す』という意味ですから……。
「今やっている事って
いつかきっと君を君にするんじゃないのかな?」
お母さんがやってくる直前にそう言いました。
彼はきょとん、としていました。
それはぼく自身への答えでした。
その子が行くべきまだ見ぬ場所へ。
そこに向かうためのお手伝い。
そしてぼくも、まだ見ぬ場所に
子ども達の力を借りて進む。
お互いを磨く。
それが教育の役割だと思ったのです。
「無責任かも知れないけれど、
今は、ぼくらはそれでいいんだよ
ぼく、今の君が好きだしね」
そう言ったらふん、と言われました。
その子、翌日は普通に学校に来ました。
「アイス2つも食った」
たっぷり甘えたんでしょうね。
いつもの顔つきに戻っていました。
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では良いお年をお迎えください。