館林市内(下早川田町と傍示塚町)にある2つの「自然災害伝承碑」が「国土地理院地図」に登録されました。
「自然災害伝承碑」とはどんなものかというと、国土地理院のサイトに説明があります。
実際に見てきたのでそのレポートです。道路が狭かったり、自転車・歩行者専用道にあるので、徒歩か自転車推奨です。
傍示塚町の自然災害伝承碑
まず、傍示塚町の自然災害伝承碑から。
西部一号線(スーパーベルク前の道路)を北に向かい、佐野線のアンダーパスをくぐり渡良瀬川方向に進みます。やがて橋に差し掛かり上り坂が始まる手前の交差点を左折します。
少し進むと右手に集会所があるので、その手前を右折。
集落を進むと坂道が始まりますが、右手に自然災害伝承碑があります。
こちらですね。
河川占用許可標識が目印になりますね。
「水害記念碑」の文字があります。その下にも書かれていますが、読み取れませんでした。1910(明治43)年8月に起きた水害で起きた堤防決壊や家屋の浸水・倒壊があったことを記録したものだそうです。
すぐちかくには水防倉庫があります。
下早川田町の自然災害伝承碑
次に下早川田町の自然災害伝承碑を見に行きます。
渡良瀬川沿いの自転車・遊歩道を下流に向かって進みます。(自動車・オートバイの通行は不可です)
東武佐野線の線路に到達します。
堤防の上の線路沿いにフェンスが見えます。その脇に石碑らしきものが見えます。
見えてきました。
これですね。
ちょっと読み取れませんでした。こちらの石碑も下早川田町の石碑と同じく明治43年の水害を記録したものだそうです。
ちなみに、石碑の脇を通る東武佐野線の渡良瀬川橋梁は1914(大正3)年に完成しています。水害の4年後ですね。
※設置場所が線路の側にあります。線路には絶対に入らないでください。近づきすぎるのも危険です。足場が悪いので転倒・転落しないよう気をつけてください。堤防管理のために必要な資材や車両が置かれている場合もあります。その際は無理に近づかないようにしましょう。
明治43年8月の水害について
館林市史「近代館林の歩みと社会」P203-205に記載がありました。この本は図書館で読めますので興味のある方は読んでみてください。
堤防の破壊は渡良瀬川の他に利根川・谷田川・矢場川で発生しています。
傍示塚村では60間(約109メートル)、下早川田村では50間(約90メートル)に渡って堤防が破損。
渡良瀬川の最高水位は二十二尺九寸(約6.9メートル)を下早川田で記録しています。
この時の被害は東京にも及んでおり、この水害が契機のひとつとなり、渡良瀬川と思川の流入水量を調整するための遊水地事業が始まり、渡良瀬遊水地は1922(大正11)年に完成します。
2011年3月に発生した東日本大震災では、過去の災害をしっかりと伝承した地域では避難が早く被害が少なかったということがありました。自然災害をしっかりと記録し後世に伝えていくことが大事だと思います。それが地域を強くするということでもあります。
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