東日本大震災から10年 今年もまた福島に行く

シェアする

今日は2021年3月11日です。

東日本大震災発生からちょうど10年です。

なにか書こうかと思いましたが、自分の振り返りをすることにします。

地震のあった3月11日は母の家の食器棚の中がぐちゃぐちゃになって、その片付けに追われていました。翌12日はテレビがずっと津波の映像を繰り返し流していて見るのを止めました。

Twitterではデマと事実とが混濁して、前年に付いたリツイート機能がそれに輪をかけてものすごいことになっていたのを覚えています。それでもテレビなんかよりはよほどマシな情報源でしたね。

最初に被災者の方たちに会ったのは、3月16日。福島からの避難者が多数県内にも来ているという情報が入ってきたので(これもTwitter)、うちで空いている部屋があったので、もし必要な方がいれば使ってくださいとTwitterで呼びかけ、それがきっかけで浪江町、双葉町、大熊町、広野町の方と会いました。皆さん避難所生活が続いて、表情が疲れ切っていたのを今でも覚えています。

福島で最初にボランティアをしたのは、4月のこと。漫画家の西原理恵子さんらが声をかけて、川俣町でサイン会とホルモン焼きの炊き出しをするというので、お手伝いに行きました。

この時点では川俣町には避難指示などは出ていませんでしたが、自由な行動ができない状態で、住民の方はストレスを感じていたように思います。私の部隊は飲み物(ソフトドリンク・種類)をふるまう役目だったのですが、お酒を飲まれる方はけっこう飲んでましたね。いい息抜きにはなったと思います。その後、川俣町の一部地域には避難指示が出ました。

津波被災地での最初のボランティア活動は2011年10月に館林の有志といわき市のボランティアの方と協力して、いわき市の中之作で支援物資の配布会を行いました。

津波の被害を受けている地域があまりにも広すぎて、行政からほったらかしにされている地区がたくさんありました。半壊状態の家に住み続けているのになんの支援もなかったり、ほんとうに大変でした。

その後も、支援を十分に受けていない地域で炊き出しや慰問、仮設住宅で棚付のボランティアをやったり、フードバンク北関東の協力で食料を持っていったりしました。

そのうち、復興住宅が建ち、徐々に復興が進み、多くの被災者が日常生活を取り戻して行きましたが、その後も福島(浜通り)には定期的に訪れています。

最初は自動車で行っていましたが、2017年に折りたたみ自転車を手に入れてからは、自転車で行くことが増えました。

いくたびに、いろんな変化があって、飽きることがないです。また、浜通りは三陸と違って、道がかなりフラットなので、自転車にはとても向いています。

2011年10月のいわき沿岸部です。豊間薄磯のあたりだと思いますが、はっきり覚えていません。なんにもありません。

最初に自転車で行った時の永崎海岸。真新しい防潮堤。

豊間のあたりかな。少し整備が進みました。

このあたりは行くたびに通りましたね。2017年

道路はきれいになりましたが、それ以外はまだ整地が終わったところ。

広野町。駅東側の開発地区。右のビル1階にコンビニができました。

竜田駅。この駅舎はもうありません。今は橋上駅舎となりました。

2020年3月14日に営業再開した双葉駅。

東日本大震災・原子力災害伝承館は海のすぐ近くにあります。向こう側に復興祈念公園が造成中です。

久之浜だと思います。ここもきれいになった。

新たに作られた防潮堤を利用して自転車道も整備されました。もう津波の痕跡があまりわからない。

わからないのは、いいことなんですが、でも風化もします。

風化はするけど、それでも忘れないために、3月11日はこれからも特別な日であり続けることに意味があります。

今年もまた福島に行こうと思います。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter で館林くらしをフォローしよう!

シェアする

ブログをメールで購読

メールアドレスを登録すると、新着記事が公開されたときにメールでお知らせします。