やさしく学ぶ 足尾銅山鉱毒事件と田中正造入門講座
第8回 『田中正造の生涯 1.』
名主、自由民権家、県議・衆議院議員、鉱毒事件闘争、谷中村闘争
日時
2025年11月9日(日) 13:30-16:00 (開場 13:00)
場所
館林市文化会館 小ホール
資料代
300円 (学生無料)
講師
赤神剛氏 (田中正造研究家)
内容
第8回 『田中正造の生涯 1.』
- 鉱毒被害民を救うため命をかけて明治天皇に直訴したという戦前から一般に流布してきた “義人”像。
- 公害運動の先駆者として民衆に寄り添い、 人権・自治の思想、 軍備全廃など平和の思想、自然との共生思想などを発想し深めていった社会運動家・思想家という1960年以降の 正造像。
- 正造の本葬儀では、3~5万人が参列した。 墓が6つもある。 含む寿徳寺 (足利市野田町)。
- 正造を最後まで支えた社会主義者福田英子はいう。
「田中翁の晩年は実に哀れなものでした。 ほとんどの人が翁を見捨て、無視していました。 ところが、翁が亡くなると我も我もと同情らしい言葉をいっています。 ずいぶん勝手なもの です。」 (要旨。 『義人田中正造翁』 大正2年刊) - 1841 (天保12)年、名主の家に生れ17歳で4代目就任 ( 『小中村史蹟』 昭和 8年刊)。 同年生れが伊藤博文。 共に明治維新を満27歳で迎えた。
- 頑固、歯はバリバリ丈夫、議会での耳をつんざく怒号・悪罵、栃鎮(トッチン)として有名、煙草と酒好き、ユーモア抜群 等々。 ( 『田中正造奇行談』 明治35年刊、ほか)。
- 投獄5回:正義の闘いへの報復か冤罪 (ぬれぎぬ)、拷問も体験。
- 波乱万丈の生涯を、 追体験しよう!
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