第50回まなびや講座
テーマ「田中正造の活動と谷中村廃村問題を考える」~谷中問題から秋穂銅山鉱毒事件を再考する~
日時
2026年3月15日(日) 13:30-16:30
場所
館林市城沼公民館2階講堂 (館林市松原1‐22‐22
提案者
山口徹さん (足尾鉱毒事件田中正造記念館 監事)
内容
田中正造は、1913年8月3日から栃木県足利郡吾妻村下羽田 (現・佐野市下羽田町)の庭田清四郎家で病臥し、9月4日に73歳で亡くなりました。
木下尚江は、田中正造の「最後の語」を島田宗三に残しました。
「九月四日の朝、田中翁自ら臨終の近きを知り、岩崎佐十氏を枕辺に呼び寄せ、特に左の如く明言せり。『同情と云ふ事にも二つある。此の田中正造への同情と正造の問題への同情とハ分けて見なければならぬ。皆さんのは正造への+同情で、問題への同情でハ無い。問題から言ふ時にハ此処も敵地だ。問題での同情で来て居て下ださるのハ島田宗三さん一人だ。谷中問題でも然うだ。問題の本当の所ハ谷中の人達にも解かって居ない。』(以下略)(『田中正造全集別巻』525頁)
私は、下線部がずっと気になっています。「足尾鉱毒問題の最後の抵抗拠点であった栃木県下都賀郡谷中村が、政府の強制土地収用法によって住家は破却され、村民は追い立てられ、事実上滅亡に帰した事件」(荒畑寒村、『谷中村滅亡史』新泉社、1頁)から、足尾銅山鉱毒事件とは何であったのか、もう一度考え直してみたいと思っています。
<提案者のプロフィール>
1941(昭和16)年 田沼町(旧三好村) 生まれ (現・佐野市船越町)。栃木県立高校の社会科教師を勤め、1971年に足利女子高校での倫理社会の授業で初めて田中正造を取り上げる。2006年以来、足尾鉱毒事件田中正造記念館で、まなびや講座、展示作成、ブックレット編集に携わる。
主催
足尾鉱毒事件田中正造記念館
リンク
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